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茨文字の魔法

ASIN:448852009X パトリシア・A・マキリップ / 原島文世訳 / 創元推理文庫

 捨て子だったネペンテスは王立図書館で育てられ、今では古代の文字を読み解く日々を過ごしていた。魔術を学ぶ若者から預かった一冊の書物が、彼女を虜にする。茨のような文字で記されていたのは、数千年前に多くの国々を征服した皇帝と魔術師の伝説。だが、書物に記された史実は、世に知られたものとは異なっていた。皇帝が生きていた時代から数百年後に栄えた国々までもが、彼に制覇されたというのだ。
 彼女が書物を読んでいる間にも、幼い女王が即位したばかりの王国では、権力をめぐる不穏なたくらみが渦巻いていた……

 異世界を舞台にした物語。もっとも、登場人物の身の回りについての描写は丁寧だが、より大きなスケールでの記述はかなり曖昧で、世界の姿をイメージしづらい。解説に述べられているように、緻密に異世界を描き出すのではなく、感覚的なイメージを重視する作家のようだ。

 ネペンテスが古文書を解読する話と、その古文書に記された古代のできごと、そして現代を舞台にした幼い女王をめぐる政治的なもつれとが並行して語られる。ばらばらのエピソードが、クライマックスで一転に収束する。こういう構成力は見事。

 その構成を支えているのが、伝えられた歴史と書物に記された歴史との矛盾という謎だ。それがたったひとつの仕掛けによって解決されて、ある構図が浮かび上がる。それまで作中で宙吊りになっていた事柄が伏線となって、浮かび上がった構図を補強する。伏線の回収はなかなか巧みで、「ああ、だから○○が××だったのか!」という、優れたミステリに通じる驚きを味わうことができた。

 登場人物はみんな鮮やかに描かれ、それぞれの関係も丁寧に描かれている。にもかかわらずクライマックスからの急展開があっけなく感じられるのは、やはりこの構図がもたらす驚きこそが最大の見せ場だからだろう。

 これは架空の世界でないと使えない技だよな……と思ったけれど、東洋を舞台に似たような仕掛けを使った例を思いだした。荒山徹のある作品である。無茶だなあ(荒山徹が)。

2009/03/10(火) 粘膜人間はペントハウスの夢を見るか?

未分類
ASIN:404391301X
昨年の暮れぐらいから、周囲で『粘膜人間』に取り憑かれてしまった人々が増えている。
この本に言語感覚を冒された某氏から届いたメールでは、主立った名詞がほとんど「粘膜」という語に置き換わっていて、なんというかガブラーにガビッシュをガブルガブルされたような文面だった。おおむね意味が通じたのは実に不思議なことである。

私も、昨年暮れのある忘年会で霜月蒼さんから『粘膜人間』がどんな話かを教えられ、その奇異な展開に感銘を受けていたところに「で、ここまでがだいたい20ページ」という衝撃的な一言を聞き、迷わず帰り道に書店に立ち寄り購入し、その夜寝る前と翌朝起きてから2回読んだ次第である。私は堪能したが、念のため述べておくと、さわやかな朝の空気に包まれて読むべき本ではない。

その『粘膜人間』に登場する河童が口にする、独特のオノマトペが忘れがたい。私の周囲でも「グッチョネ」という河童語彙を耳にする機会が増えた*1。「グッチョネ」は河童語彙の代表とも言うべきぐっちょねな響きを帯びた語であるが、これが何を指しているかは各自『粘膜人間』を読んで確かめていただきたい。

で、この「グッチョネ」という言葉、どうもどこかで聞き覚えがある……としばらく気になっていたのだが、ようやく思い出した。ボブ・グッチョーネだ。よりによってボブ・グッチョーネである。名は体を表すとはこのことだろうか。ぐっちょねぐっちょね。

*1 : 杉江松恋氏が連呼している

2009/02/25(水) 十三代目都筑道夫

日常
……と名乗ればいいのにと思ったけど、さすがに畏れ多かったのだろうか。確かに軽々しく名乗れるものではない。そもそも女性なので「道夫」は無理があると判断したのだろうか。

……何の話かを人に理解させる努力を完全に放棄しているわけですが、ミステリマガジンの新編集長就任を祝う会に行ってきたのでした。本人曰く十三代目。なぜ上記のような妄想が浮かんだかというと、早川書房の方からいただいたお誘いのメールに「襲名披露」なんて書いてあったから。

戯言はさておき……翻訳ミステリ周辺の現状からすると大変な航海になりそうですが、ぜひすてきな舵取りを。

1: kozukata 『どうもありがとうございました。 都筑さんのお名前は畏れ多いッス。 (そしたら、今の社長も、6代目都筑道夫?) どれほどのことがで...』 (2009/02/27 10:00)

2009/02/24(火) 2009-02-24

日常
例年だと本業がかなり繁忙状態になっているのだが、今年はややのんびりした状態。もっとも、仕事がなくなるのもまずいので、身も心ものんびりというわけにはいかないのだが。

ASIN:4434125362ASIN:4434125370 ただ、本を読む時間を確保しやすくなったというメリットも。数日前にロバート・リテルの『CIA ザ・カンパニー』という重量級×上下二巻を読み終えたのだが、もしも今が空前の好況だったら、まだ上巻の途中を読んでいたところかもしれない。

ちなみにリテルの小説は、1950年代から90年代に至るまでのCIAを、同時期にエージェントとなった3人の男たちを通して描いたもの。キム・フィルビーの裏切り、ハンガリー革命にキューバ革命、アフガニスタンでの工作、さらにはゴルバチョフ政権下のクーデターといった史実に、CIA内部に潜んだ裏切り者を探し出す物語が絡み合う。

ジョン・ル・カレの『サラマンダーは炎のなかに』同様、冷戦と冷戦以降とをつなぐようなスパイ小説。もっとも、リテルのほうはもっぱら冷戦を描くことに力を注いでいる。

砂漠の狐を狩れ

冒険小説
ASIN:4102172319 スティーヴン・プレスフィールド / 村上和久訳 / 新潮文庫

第二次大戦下の北アフリカを舞台にした戦争冒険小説。

時は1942年。英国陸軍に志願した若者は、エジプトへと送りこまれた。
名将ロンメル率いるドイツ軍が、リビア国境を越えて迫っていた。イギリス軍がエル・アラメインで枢軸軍を迎え撃とうとする中、長距離砂漠挺身隊の一員となった若者たちは、敵将の殺害という任務を命じられる。最前線を飛び回って指揮を執るロンメルの位置を突き止めるため、彼らは砂漠の海へと乗り出した……。

舞台は砂漠。生き延びるだけでも十分に過酷な環境で、しかも戦争をやっているのだ。補給の途絶は死を招く。変わりばえのしない風景が続く中で、道しるべとなるのは星々の位置。そういえば、従軍記者として北アフリカの戦いを経験したアラン・ムーアヘッドも「砂漠の戦いは海の戦いに似ている」「砂漠の軍隊は、地域や拠点の征服ではなく、敵との戦闘を求めているのだ」と書いている。そんなわけで、過酷な環境でのサバイバルを語る言葉は、海を舞台にした小説と似通ったところがある。舞台こそ砂漠ではあるが、英国海洋冒険小説の延長線上に位置する作品でもあるのだ。

登場人物も、物語の軸となる敵将エルヴィン・ロンメルの存在はもちろん、特にイギリス軍人たちの「いかにも英国的」な気質が忘れがたい。

あわせて読むとよさそうなのは:
  • アラン・ムーアヘッド『砂漠の戦争
    上記引用の出典。従軍記者の目から見た北アフリカの戦いを、その結末まで描いている。
  • デズモンド・ヤング『ロンメル将軍
    エルヴィン・ロンメルの評伝。著者は英軍将校で、北アフリカでロンメルの捕虜になった経験の持ち主。『砂漠の狐を狩れ』にもそのエピソードが記されている。
  • マーチン・ファン・クレフェルド『補給戦
    イスラエルの研究者による、戦争に占める補給の重要さを分析した本。第六章で北アフリカ戦線を取り上げている。補給の重要さについて理解が欠けていたとして、ロンメルには批判的。